徒然蟹

一個人のブログ。アイマスPなのでアイマス成分が多いかも

アイマスとカバー文化

アイマスと言えばアイドルゲームの代表格で名曲、神曲も沢山ある(一部にはネタ曲もある)
 
そして原曲の歌手以外がその曲を歌うカバーと言う文化がある。
アイマスの場合別のアイマスのアイドルがカバーすると言うことがそれなりの頻度で行われる。
今回はそのアイマスとカバー文化について個人的な意見を書きたい。
 
まず、私としてはカバー文化自体は素晴らしいし決して絶やしてはならないと考えている。
カバー曲と原曲どちらも違う良さが出るからと言うのが理由としては一番大きい。
菊地真の代表曲の「自転車」を矢吹可奈がカバーするものがあるが原曲の真の素晴らしさは言わずもがなだが、可奈の方も彼女らしく一生懸命歌っているのがわかるし地味に中毒性があり真とはまた違う良さがあると感じた。

秋月律子の代表曲「いっぱいいっぱい」はデレステメガネっ娘アイドルの上条春菜がカバーしたそうだが、ミリオンの高山紗代子が歌えばまた違う良さが出るのではないかと思う。
理由としては、紗代子はメガネっ娘ながら理由があって舞台の上ではメガネをかけないという信条のアイドルからだ。
よって同じ「いっぱいいっぱい」でも、かなり歌詞の意味合いが変わってくるのも含め聞きたいと思う。
歌織さんがあずささんの持ち歌を歌ったらどうなるのかとかも考えると興味は尽きない。
 
ただし、アイマスの曲のカバーがされる場合程度に差こそあれ賛否両論の意見が出て荒れることがある。
単純に歌が上手い下手やカバー自体への否定的な考え方もあるが、カバーするアイドルがカバーされる側の曲を歌うレベルに達していない(実績がない)と言うものを見かける。
シンデレラの島村卯月が765ASの象徴する「M@STERPIECE」を歌ったのものが代表的らしいが、個人的にはこれについては同意しかねる。
 
広義的には同じ作品のキャラクターがカバーする度に荒れると言うのは傍からみると保守的で敷居の高いコンテンツに思う。
自由で開かれたコンテンツのがアイマスの良さのひとつだと言うのが私の考え方である。
歌は誰にでも歌えるから歌なのであって、その歌の存在がアイマスと言うコンテンツを縛り敷居を押し上げるのならそれは本末転倒な気がしてならない。
 
そもそもアイマスP全体でカバー文化自体を全否定しているPは少数派ではないかと私は考えている。
アイマスの場合実績があり持ち歌の多い765ASの曲を後輩であるシアター組のアイドルがカバーするパターンがほとんどに故にASPがカバーに否定的な意見表明することがある。

しかし、M@STERARTIST(MA)で765ASがカバーするアイマス以外のメジャー曲が募集される時喜びながらそれを考えているPの姿が多数見られた。
765ASは実績のもちろん歌唱力や知名度でもアイマスでは筆頭格だが、カバーされる原曲の歌手と同じレベルに達している(実績がある)のか、原曲の歌手のファンがアイマスにカバーされることについてどう思っているのか真剣に考え、悩んでいるとは私が思えなかった。

 

カバーとは本来それぐらいの軽い感覚で良いのではと私は考える。
なのでカバーされる側であっても担当の持ち歌がカバーされる抵抗感はなくせないにしても「カバー?担当の持ち歌は大変だよ?」ぐらいのスタンスでいるのがベターだと思う。(無論個人的な考えです)
 
一方でアイマス運営側にも問題や改善点はあると思う。
まず、アイマスの場合765ASの持ち歌を後輩のシアター組が歌うパターンが一般化してきているが765ASはカバーされるばかりで他のアイマスブランドのアイドルの曲をカバーする側になることが少ない。(例外はハッチポッチでのライブぐらい?)
故に「ASはシアター組に利用されている」と言う意見が見られるが現状ではそれは否定できない部分があると思う。
 
個人的にはシアター組のソロ曲も増えた現在ならシアター組の持ち歌を765ASがカバーするアルバムを発売しても良いのではないかと思う。
(個人的には永吉昴のソロ曲を菊地真が歌ってほしい。)
そうすればお互いに持ちつ持たれつで「ASはシアター組に利用されている」と言う抵抗感はかなり軽減されると思う。
 
次に原曲が誰かの明記は必須にすべきだと思う。
MAでのメジャー曲のカバーの場合、原曲の歌手が誰であるか明記される。
これは契約上の関係かもしれないが、アイマス内でのカバーの場合原曲が誰か明記されない場合があるのは気になる。
実際、菊地真の「自転車」のカバーも菊地真が原曲だとは明記されていなかったので「可奈の持ち歌が増えた」と喜ぶ感想に菊地真Pが不満を口にしていた。
原曲あってのカバーなのでそのリスペクトを示すという意味でもアイマス内のカバーでも原曲が誰のものかを明記するのはやるべきだと思う。
 
そういうの施策が着実に実行されASPの持つカバーされると言うことに対する抵抗感が減っていけば、ファンや担当からは実績や経緯などで聖域とされる「M@STERPIECE」や千早の「約束」と言ったアイマスを象徴する曲のカバーが受け入れられる時が来るのではないかと私は考えている。

ただ、現状ではカバーに寛容的なASPですらこれらの曲のカバーだと怒ると言う方のも多い以上、相応しい時、相応しい場所、そして相応の理由なしではマイナス面の方が遥かに大きいのでこれは容易なことではないし、アイマス運営もそれを充分把握しているだろう。
しかし、それができる時が来たらアイマスはカバー文化と言う意味だけに留まらず、本当の意味で別け隔てなく自由で開放的なコンテンツになったと心から喜べる時ではないはないだろうか。
 
それが成されるのは5年先か10年先か、それとも永遠に来ないのか。
こればかりはわからないが、私はその時が来るのを今もこれからも願い続けている意思表明のためにカバーに対する考え方も含めて書き記しておく。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

アイマスがこれからも末永く愛されるコンテンツでありますように。